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魔女、人間になる――映画『ハムネット』(ネタバレあり)

 映画『ハムネット』を見ました。


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 イギリスの田舎(ストラトフォード)に住む農家の娘がジェントリ階級の息子と結婚し、子どもが生まれる。夫は食い扶持を得るためにロンドンへ。残された母と長女、双子の次女・長男は父の帰りを楽しみに、草花に親しみながら暮らすのだが、一家を悲劇が襲う。子の一人が亡くなってしまうのだ。この悲劇がその後、家族に取らせた手段とはなにか。それが劇作家・シェイクスピアの作品「ハムレット」誕生につながる——。

 主演女優のジェシー・バックリーがアカデミー賞を獲得したこともあり注目される本作ですが、家族のすれ違い・エディプス的葛藤と創造性の関係・母との分離・女性同士の連帯・演じることによる喪の作業など様々なテーマが重層的に含まれる物語でした。

 

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 中でも私が面白いなあと思ったのは、ジェシー・バックリー演ずるアグネス。鷹を操ったり薬草を得たり、村では”魔女の娘”と噂される存在です。アグネスの母も魔女と呼ばれており、おそらく出産にまつわる何かで命を失っています。アグネスは母のように魔女として振る舞い、母の言葉を復唱し、母に同一化することで母を失ったという事実の受け入れを遅らせているようなところがあります。

 ところで魔女は、超自然的な力で人に影響を及ぼす存在とされています。薬草などを用いた民間療法の使い手として、キリスト教的または科学的な価値観に反するものとして異端視され、”魔女狩り”と称して狩られる対象となったこともよく知られています。日本では、『魔女の宅急便』『西の魔女が死んだ』などのように、(女性の)思春期的心性を象徴するものとして捉えられることも多いものです。極めて乱暴にまとめれば、生と死、大人と子どもなど橋渡しして、その間にある断絶を埋めてしまう、欠けるところを補うというのが基本的なイメージです。つまり、この世の完全性や無限性を、論理性や理性でないところから支えるために、畏怖の念が忌避へとつながったのだと考えられます。


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 『ハムネット』のアグネスは、いつも森の中にいて動物に近い存在として描かれています。直観に優れていて、人の親指の付け根を見てその人の運命を感ずることができます。長女の出産も一人森の中に行き、洞穴で出産するのです。しかし、次の出産は川の氾濫のため夫の母から森へ行くことは禁じられ、夫が生まれた部屋での屋内出産を余儀なくされます。生まれたのは双子、長くお腹にいた次女の方は仮死状態で生まれますが、アグネスの懸命の介抱によって息をし、命を返されます。虚弱な次女の健康に気を配りながらアグネスは子育てをするのですが、ペストにかかった次女の病を引き取って亡くなったのは双子の兄の方でした。アグネスは持てるだけの知識を使いますが、薬草や塩といったものは、感染症の前にはあまりにも無力でした。

 

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 この間、夫であるウィリアムはロンドンとストラトフォードを行ったり来たりですが、革手袋を作るスキルを足がかりにロンドンで劇団の仕事に関わります。双子の出産の際にも、長男が死ぬ時にも、夫は不在でした。出産間近のタイミングでウィリアムをロンドンに送り出したのはアグネスでしたが、それは夫の親指の付け根に成功の相が出ていたからであり、むしろアグネスが積極的に送り出したようなところがあります。生命力に溢れるアグネスは、薬草とおまじない—二つとも母から受け継いだもの—によってなんでも乗り切れるし乗り切ってみせると誓うのです。自分が魔力を全力で注げば死をも覆せる、というのは母としての愛情でもあり、“魔女”としての傲慢さでもあり、魔女であらねばという強がりでもあるでしょう。

 息子の死後、アグネスが「あなたはいなかった」と夫を強烈に責めるのは、事実の指摘であり息子の死の否認でもありますが、傲慢であった自分を引き受けられないがための投影であり、アイデンティティの大きな揺らぎであるようにも思えます。また、人間の孤独や寂しさや罪悪感といったネガティブだが必要な感情の芽生えというようにも見えます。


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 怒り責めるアグネスに対するウィリアムのアンサーは、劇を作り上演することでした。「ハムレット」という舞台がロンドンで上演されることを知りアグネスは見に行くのです。アグネスは初め、息子の死を切り売りするように思えて声を上げて抗議しますが、死の世界にいる父王を自ら演じるウィリアムを見て、息子が大きくなったようであるハムレットを見て、死者には死者の世界があること、夫もまた息子の死に傷つき、劇にすること・演じることを持ってそれを受け入れようとしていることを知り、すべてを許します。母を亡くしているが母のように魔女になることで母の死を否認し続けたアグネスにとっては、ようやく母を手放せたということでもあるでしょう。


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 こうしてアグネスは、自分の魔力が万能ではないこと、自分がこの世に留まる限り、力の届かないあの世というものがあること、それは悲しいことであるが悲しみを抱えてでも生きていくしかないこと、そのためには起きた出来事を物語にしてその理路を生み出すのが有効であること、を知ります。「ハムレット」の上演を見ることでこのプロセスは完結しますが、息子が亡くなることがその始まりではなく、屋内で出産することから少しずつ、動物ではなく人間としての成分が増えてきている様子が描かれています。何と言ってもアグネスは、長男ハムネットが亡くなることを予知できなかったのですから。


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 つまり『ハムネット』は一人の魔女が魔力を失い、人間になるプロセスを描いた作品であり、それは何かを失うという意味では悲しいことではありますが、家族や周囲の人とつながるための感情や理性という新しい力を得たという意味では、希望を感じさせることでもあるように思います。


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 シェイクスピアを上演することで対象喪失を癒すというのは、映画『カーテンコールの灯』を思い出させるところがあります。時代設定や映画としての仕掛けはずいぶん違いますが、演じることによる心の打撃の回復という意味では、どちらも大切な作品であると思いました。


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