top of page
検索

誰にとっても人生は突然――映画『カーテンコールの灯(あかり)』

ree

 現在上映中の映画『カーテンコールの灯』は、打撃を受けた人生がどのように再生していくのかを丁寧に描いた作品です。


***


 建設作業員として働いている男性・ダンが主人公。彼は作業中に激昂してしまい、それをたまたま見かけた女性に声をかけられ、地域の小さな劇団に誘われます。一方その娘も、高校で同級生に暴力的な態度を取ったということで事情を聞かれています。ダンの妻は男性や娘を宥めるのに必死ですが、家族の結びつきは危うくなる一方だし、どうもこの家族は何らかの事件にあって、証言する立場にあるようでもあり…。

 激昂したことがバレて停職処分になり行き場をなくしたダンは、少しずつ劇団に参加するようになるのですが、劇団へのコミットが進むにつれて、ダンとその家族には大きな打撃を受けるような出来事があり、家族みんながその出来事に支配されたような人生を送っていることがわかってきます。そうした中で、劇団は『ロミオとジュリエット』の上演に向けて稽古を進めていくのですが、それがダンとその家族を包み、傷つきを回復させる場として機能していくことになっていく――というお話です。

 このように書くと、お涙頂戴の感動話、説教臭い道徳話のように聞こえるかもしれませんが、ことはそう簡単ではなく(そう単純なものをこのブログで紹介するわけもなく)、落涙しつつもただスッキリするだけでは終わらないあれこれを含んだ作品でした。以下、印象に残った点を記述します。


***


 近年、心理療法や対人援助の分野でよく言及される概念に「セルフコンパッション」というものがあります。「セルフ」は「自身」、「コンパッション」は「思いやり」「慈しみ」という意味で、合わせて「自分への思いやり」というようなことになります。社会に適応して生きていこうとすると、自分のことを置き去りにするようなやり方が取られることが多く、それが多くの人の心を消耗させたり、尊厳を失わせることになるというので、自分を大事にするあり方を育むことが心理療法の目標になることがあります。これはどんな人にも起こりうるのですが、文化伝統的に、男性は自分の感情を表現することが好ましくない(=“男らしくない”)と忌避されることが多く、感情の取り扱い方法をつかめないまま、怒りや衝動に突き動かされる瞬間が来ることがあると言われています。本作品のダンもまさにそのような男性で、演劇に携わることが、自分の感情を掴み、それを対象化する方法として機能していくことになります。

 自分の気持ちを表明することに慣れていない人が気持ちを表明できるためには、安全だと感じられる場が必要です。いつも無口なお父さん、で通っている人が家族の中で急に自己表現をするのはハードルが高いし、職場では職場で与えられた役割があるので、そこからあまりに外れた言動はリスキーです。そこで、家族でも職場でもなく、安全で同質性がある程度担保されているようなコミュニティ――最近はサードプレイスと呼ばれるような場所――が大事になってきます。ダンにとってはそれが劇団でした。ダンには、人が聞けば「なんと気の毒に」と言わずにはおれない出来事が降り掛かっています。「気の毒に」という言葉は思いやってのものかもしれませんが、かけられ続ければ「気の毒」の檻に閉じ込められてしまいます。映画中で、ダンが「ここ(劇団)では自分が特別視されない」と激白する場面があるのですが、 「気の毒な人」でなくいられることがどれだけダンの救いになっていたか、と思わされる場面でした。


***


 そして、この作品がとてもうまいなあと思うのは、主人公の男性に起きる出来事と娘に起きる出来事、その妻に起きる出来事がパラパラと置かれていてその結びつきが最初はわからないように作られていること。なにやら不穏なことが次々に起こっているようだけれども、それが何であるのかが、話が進むうちに少しずつ見えてくるように作られていることです。

 考えてみれば、誰にとっても出来事というのは突然断片としてやってくるもので、全体像やその意味がわかるのはあとになってから――最後までわからないこともあるのですが――、そもそも、この世に産み落とされるということが突然のことだし、すでにまわりのみんなは先に人生を始めていて、その大きな流れの中に自分が参入していかないといけないのです。(なんという心細さでしょう!)そんな中でいろんなものをつなぎ合わせて、人生というものに地面があり道があり意味があるように思い込んでやってきたのに、そんなものなどなんの意味もないと、ぶっ飛ばされるされるような出来事が起こったとしたら。おそらく多くの人の心は、自分というものがつぶれないようにそれを心の外に置こうとするでしょう。ダンが自分の心の取り扱いが難しく、怒りに支配されてしまうのも、心を守るために、出来事を自分の人生から排除しようとするからですが、それが家族との関係や仕事を、そしてそれらを含んだ“生きる”ということをどんどん難しくしてしまいます。

 ここで、演劇・演じることがまたもや大きな役割を果たします。劇団が上演しようとしているのはシェークスピアの『ロミオとジュリエット』なのですが、これはダンと家族に起こった困難な出来事を再現するようなところがあります。出来事を排除したいダンからすれば、これを演じるというのはとても苦しいことです。ロミオを演じることになったダンは、『ロミオとジュリエット』という既存のストーリーにどうやったら自分を入れ込めるのか、結末を変えて救いのある話にしたらよいのでは?などあれこれ逃げ道を考えますが、娘の導きもあって、見事に『ロミオとジュリエット』のように生きるものの心情を、自分のものにすることに成功します。

 この最後の成果については、演じるにあたって、配役や感情表現の方法など、劇団全体で試行錯誤、紆余曲折しながらたどり着いたということがとても大事だったように思います。メソッド演技のように自分の人格を変え役と一体化させるような方法でもなく、肉体的・精神的に激しくぶつかり介入しあうような暴力的な方法でもなく、演者一人ひとりの人格を尊重しながら『ロミオとジュリエット』に織り込んでいくような方法が模索されます。50代の俳優二人が『ロミオとジュリエット』を演じるという判断もこの一つでしょう。こういったやり方によって、“私の”『ロミオとジュリエット』が新しく物語られることになるし、ダンの心を再生させるような力となっていったのです。このあたりの機微は、心理療法などにおけるナラティブ・アプローチを思わせるところがあります。 


***


 というわけで、「文学ってとっても実用的!」と力づけられるような、地味で優しいけどジワジワ効いてくるよい作品でした。



コメント


  • Twitter

テキストです。ここをクリックして「テキストを編集」を選択して編集してください。

住所:〒543-0001 大阪府大阪市天王寺区上本町

[プライバシー保護のため、住所はご予約時にお伝えします]

​アクセス:近鉄上本町駅・大阪メトロ谷町九丁目駅より徒歩5分

​開室時間:月~土 9:00~19:00(時間外応相談)

  Tel   : 050-3575-1900

​​*留守番電話になっている場合は、お名前・ご連絡先を残していだだければ折り返しご連絡いたします。

bottom of page