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この世はいつもstrange --映画『幸福路のチー』について

更新日:2023年3月11日


 「srange」という英単語を習ったのは中学生の頃だったでしょうか。この言葉を知った時、私は大きな安心感に包まれたのを覚えています。海外の人もこういった“なんか変”を感じるのだ、と。


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 「strange」という単語は、「変」「奇妙な」と訳されることも多いですが、「なじみのない」というのが最も語源に近い意味で、そこに発する“浮いている”感じが「奇妙」ということなのだろうと思います。またここから、strangeな感じを漂わせている人のことをstrangerと言ったりもします。どこに行っても誰とも何もできない私が安心したのは、周囲の人や環境になじまない存在を見つけ出す感覚というのは、日本に限らず文化をまたいで人間に共通して持たれるもので、つまり、“あいつはstrangeだ”と指差されるような私の仲間はきっと世界中にたくさんいて、私はひとりぼっちではないと感じたということだと思います。


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 しかし考えてみればそもそも、人間というのはすでにあるこの世界の中にどこかからやってくるわけで、あらゆる人がこの世のstrangerとして生を始めるとも考えられます。また、成長する内に自分のことをはねのけるような存在にぶち当たることもあって、そこではstrangeな存在から”おまえこそstrangeなのだ”と突きつけられるわけで、これは自分にとってなじみのある世界から見捨てられるような体験です。個として人間が生存するためには、こういった切り離される体験というのは欠くべからざるプロセスではありますが、しかしこれは、自分をこの世につなぎとめてくれる何かの存在が同時にあるからこそ、安全に体験されるようなものでもあります。


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 台湾のアニメ映画『幸福路のチー』は、一人の女性の“strange”をめぐる物語であると、私は見ました。具体的には、アジア的な学歴社会の中で親の期待に応えること/応えないこと、(国際)結婚する/離婚すること、働くこと…様々な対立項の中で、strangeにならないこととoriginalな自分の内発性を大切にすることの間に揺らぐ女性の姿が描かれます。最後には、妊娠するというstrangeな状況をどのように生きていくかという大問題が立ちはだかります。また、社会情勢や災害など、個人や人間を超えたものの中で、圧倒されながらも、結局は世界にとっては皆がstrangerなのだと気がついていくようなところもあります。

 高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』などの影響を受けて作られた映画のようですが、『この世界の片隅に』や『かぐや姫の物語』にも通ずるものがあるとも思います。また絵柄は、『この世界の片隅に』のようでもあり『ちびまる子ちゃん』のようでもあり『クレヨンしんちゃん』のようでもあり、このあたりも、なじめるようなstrangeなような、不思議な気持ちになれて面白い作品でした。

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