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それは幻ではない――西見奈子『フロイトの灯 現代精神分析入門』

 精神分析家によるフロイト理論の解説書。優しく丁寧だが足腰の強さを感じさせる語り口で、読むうちに段々と地響きのような蝉の声のような、姿なき者の声のようなものがズーンと響き、次第に大きくなってくる気がした。気のせいかと思ったが、それは気のせいではないことが終盤にさしかかるにつれ分かってくる。


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 本書では、フロイトのヒステリー理論について、それがトラウマ(実際に生じた外傷体験)によるものであるとした初期理論(「誘惑理論」)とその放棄について語る。ヒステリー症状は女性が外傷体験を負ったから生じるのではなく、外傷体験を負ったことにして症状を出し心身を守ることを無意識が選んだのではないか、という理論的転換である。

 その上で、誘惑理論を放棄したからこそ作り上げることのできたエディプスコンプレックスという考え方について論じられていくが、そこに一本通っているのは人間にとって性愛とは何か、という視点である。


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 精神分析の性愛理論はあるところから急に受け付けなくなるところが私にはあって、エディプスコンプレックスについても、子による母親への愛と父親への憎悪がそれぞれに対するアンビバレントな思いへと変わっていき、そうして父や母を人間として認めることで子の人格に陰影や奥行きが生まれて、一人の大人になる道が開けていくのだ――と比喩や象徴的なものとして説明されれば納得がいくのに、ペニス羨望や去勢不安、などと言われると、とたんに私の心は理解を拒んでしまう。「ペニスほしいと思ったことないなー??」などと思ってしまうのである。ではクラインはどうかというと、「ヴァギナについての無意識的知覚」はまだなんとなくわかるが、「母親のお腹には父親のペニスといういいものがつまっているという空想」となると、やっぱりよくわからなくなる。どうしてそんなことを考えたんだろう?

 

 フロイトおよび精神分析の性愛へのこだわりについて、人間存在は生物学的なものに依拠して動かされているという発想として理解すればよいのだと、たしか藤山直樹『集中講義・精神分析』には書かれていて、これもやはり頭ではわかったけれど、いわゆる腹落ちはできぬまま今に至っていたように思う。


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 今回読んだ『フロイトの灯』は、「おわりに」にあるように「性は愛と暴力の間にある」という認識に貫かれている。また、“子どもと大人の違いは何か”“子どもが大人になるとはどういうことか”ということも暗黙の問いとして追われていたように思う。本書では、フロイトやクラインや精神分析関係者の書簡などを丁寧に読み解くことで、フロイトやクラインが「ペニス」「ヴァギナ」という用語を手放さなかったのは、子どもも女性も愛という名のもとに身体と心を実際に傷つけられてきたからであり、二人ともそれをよく知っていたからであるということを明かしてみせた。


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 私が特にインパクトを受けたのは、フェレンツィの「大人と子供のことばの混乱」という論文のことである。(私は不勉強にしてこの論文のことを知らなかったのであるが、森茂起が訳して紀要に載せたものがネット上からすぐ読める。)ここでは、子どもが求めるのはやさしさの水準であり、性的に成熟した大人が求めるのは情熱の水準であり、これを大人が取り違えることで性暴力は起こるのだとフェレンツィは述べている。

 

 これは個別の事象について考えさせられるだけではなく、社会制度設計についても考えさせられるような話ではないかと私は思う。例えばアニメやゲームなどのゾーニングの問題などを読みながら想起した。つまり、心の作業に関わる者は、心の問題だけにせず社会に開かれる視点を持ちながら、社会を捉え作っていくのは人間の心であるという事実にも根ざしていなくてはならない。社会を変えるのは行動だが、行動を起こしそれを修正し動かしていくのは心なのである。


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 ところで、では、大人とはなんだろうか。子どもはどうやって大人になるのだろうか。この本では、「自分が子どもであることを受け入れること」だと結論づける。これには、父と母というカップルの結びつきを認めることだけではなく、“自分がいかにケアされてきたか”を知ることが関わるのだという。(“いかにケアされてきたか”を知るためには、子どもとしてケアを十分にされる体験が必要であることは言うまでもない。)


 この文章では唐突に出てきたように見える“ケア”という視点であるが、本書の中ではあっと驚くような仕掛けで導入される。ここは是非、本文にあたってもらいたいところである。


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 本書を読んで、「ペニス羨望」がわからないことに私自身が傷ついてきたのかなと思った。学術の世界にいると、わからないと言えば無力なものとみなされることが多々あり、わからないと表明することへの忌避感が大きくなることがあるように思う。わからないのは馬鹿ではない。問題は、“わからないのは馬鹿”と思わせる構造の方にある。わからないことをわからないと言いながら考え続けることを認める力がこの本にはあるように思えて、そういった意味でも読んでよかったと思える本であった。




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