読書メモ:ウィニコット(1965/2022)『成熟過程と促進的環境』(大矢泰士訳)岩崎学術出版社
- 心理臨床オフィス ポーポ

- 6月15日
- 読了時間: 3分

対象関係論のメラニー・クラインの後継者でありながら、それにとどまらず自らの理論を展開させていったウィニコットの論文集。「偽りの自己・本当の自己」「一人でいられる能力」などウィニコットの代表的理論を知ることができ、子どもの心理臨床を学ぶうえでは『遊ぶことと現実』等とともに必読であると思われます。
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クラインとともに乳幼児期の心的発達の重要性を説いたものの、クラインほどには内界のファンタジーに依らず、タイトルにあるように「促進的環境」を重視したウィニコット。養育者に依存しながら漸進的に心理的自立が進むとウィニコットは考えますが、本書の白眉は以下の点にあると読みました。
イド衝動が有意義になるのは、それが自我生活の中に包容(コンテイン)されるときだけである、という点については一般的に同意を得られると思う。イド衝動は、弱い自我を混乱させ、強い自我を強化する。イド-関係は、自我-関係性の枠組みのなかでおこるとき、自我を強化する、と言える。もしこのことを受け容れるなら、一人でいられる能力の重要性も理解されるはずである。乳幼児が彼自身のパーソナルな生活を発見できるのは(誰かがいるところで)一人でいるときだけである。これに代わる病理的な選択肢は、外的刺激への反応をもとに築かれる偽りの生活である。(「一人でいられる能力」p.32)
いまや、応えてくれる誰かがいること、誰かがそこにいること、そこにいるけれども何かを要求してくるわけではないこと、が重要である理由を分かっていただけるものと思う、衝動があらわれ、イド体験は実り豊かなものになることができて、一緒にいる人の、つまり母親の部分または全体が、そこでの対象となることができる。乳幼児がリアルに感じられる体験をもつことができるのは、こうした状況においてだけである。(「一人でいられる能力」p.34)
「イド」はひとまず本能的衝動と読み替えるとわかりやすいと思います。子どもがリビングの床で遊んでいて、養育者がその後ろにあるソファに座ってなんとなく子どもを気にかけながらスマホを見ている、または、子どもがリビングで遊んでいるのをなんとなく気にしながら養育者がキッチンでご飯を作る――こういった一人のような二人のような場を体験することで、子どもは養育者がそこにいなくても大丈夫になる。そういった話です。乳児期の、とにかくお世話をしないと生命の維持ができないだろうと感じられる時期を抜けたら、べったり子どもと同じ遊びを共有しなくても、ゆるやかに空間を共有すればそれでよいということでもあります。
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この本は装丁もかっこいいですね。昔の、牛島訳の白✕青装丁も落ち着いていて好きでしたが、大矢訳のこの装丁は、洋書由来の雰囲気がより強くあって読書モチベがあがります。
(注)牛島定信訳バージョンは1977年に同じく岩崎学術出版社より『情緒発達の精神分析理論』のタイトルで出版。全体を訳し直すとともに、2本の論文(原書にはあった「紐:コミュニケーションの技巧として」「児童精神医学のための養成訓練」)を訳し加えたのがこの大矢訳『成熟過程と促進的環境』。




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