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人間でいるのはとても大変――映画『こわれゆく女』と『かぐや姫の物語』



 ジョン・カサヴェテス監督の映画『こわれゆく女』を見ました。この映画は、ある一人の女性が“こわれゆく”プロセスを描いたものです。ここで「こわれゆく」に“”をつけたのは、誰が彼女がこわれているとみなしたのか、または、何が彼女をこわしたのか、というところがポイントになっている映画だから。


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 主人公のメイベルは専業主婦らしい。市の土木課の仕事に就いて現場で働く夫と、3人の子どもと暮らしている。夫が連れ帰る仕事仲間をもてなし、親をもてなし、子どもの友達とその親をもてなし…と、家に来る人たちをあれこれともてなす。しかしどうもそのもてなしが過剰でずれていたり、逆につばを吐いてブーイングすることもあったりということで、姑や夫や医者から“異常”を指摘され、要治療であると入院をさせられてしまいます。


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 たしかに観客からしても、彼女のふるまいは、一見奇妙と感じられるように描かれています。ところが、映画が進行していくうちに、彼女の不自然な”もてなし”は、良き妻であること、良き母であること、良き娘であることを求められ、それが彼女の本性との不和を起こしていることから発生していることが見えてきます。


 自分(と夫)の空間に次々に侵入してくる他者は、良き〇〇であることを要求する何者かを具現化した存在です。これが内面化されると、分析心理学(ユング心理学)の世界では「ペルソナ」と呼ばれるような、そんな存在です。「ペルソナ」とは、社会集団の中で生きていくには備えておく必要がありますが、個人としての存在を潰したり変形させたりして毀損する可能性もある、取り扱いの難しいものでもあります。メイベルの苦しみは、この個人と社会との摩擦(葛藤)の中にあるのだと思います。


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 そして極めつけは、メイベルの退院後に起こること。


 メイベルにとっての入院とは、心の平穏というか精神の鎮静というか、そういうものを得て来いという周囲のメッセージを含むものでした。それなのに、退院当日の自宅には、夫によって山盛りの人が招待されているのです。そして、そういった中で混乱し、疲れているメイベルに対し、あろうことか夫は、「自分らしくいたらいいんだよ」と、「ブー」っとつばを吐くことを彼女に求めるのです。


 つばを吐くことこそ、彼女が唯一、誰にも侵されず自分の領分を発揮できる行為でした。だからこそ周りの人は眉を潜めていたわけですが、それすらも、こうして周囲の要請の中に取り込まれてしまうのです。


 とうとう耐えられなくなった彼女は、ダーッと家中を走り回りだします。


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 ダーッと走り出す主人公を見て、想起したのが高畑勲監督『かぐや姫の物語』でした。この映画の主人公・かぐや姫も、人間でいるには、大人でいるには、女性/男性でいるには、と様々な型が外からやってきて、とうとう耐えられなくなってダーッと走り出します。そして最後には昇天し、人間であることから離れるのです。


 一方、メイベルは、3人の子どもをそれぞれ上手に寝かしつけることによって、人間としての自分を取り戻します。子どもが落ち着いて寝られるのは、メイベルが母であるからというよりも、一人の人間として自分と向き合ってくれているということが、子どもにもわかるからだろうと感じさせます。そして、それこそが彼女の自然な姿なのだろうと思わせるのです。


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 『こわれゆく女』は、自分だけの空間にしたくて台所のドアに張ってある「PRIVATE」のプレートが、ずっと目に心に痛々しく映る映画でした。


 とにかく人間でいるのは大変。



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