PTSDを考える――映画『オデュッセイア』と『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』

映画『オデュッセイア』を見ました。『メメント』や『インセプション』などで知られるクリストファー・ノーラン監督が、ホメロスの『オデュッセイア』を映画化したものです。
「トロイの木馬」で知られるトロイア戦争での勝利から、故郷への帰還を描いた物語ですが、その帰還は困難を極めます。友好の情を逆手に取るという「トロイの木馬」作戦は、“勝つためなら何をしてもよい”という価値観を人間の世界に持ち込むことになるのですが、これはまさに地獄の釜の蓋を開けるような行為であり、帰還の旅は神々による地獄巡りのような様相を呈します。
ノーラン映画らしいなあと思うのは、旅を振り返ってオデュッセウスが語るという次元と、実際に起きていることがシャッフルされて一つの物語になっていること、それ故に最初は登場人物同士の関係や固有名詞の持つ意味がわからないこと、見ていくうちに徐々にその関係性がわかってくること。
しかし、このような全体の構成は、“ノーランやなあ”という以上の効果を持つように思いました。それは、神々による試練や妨害が、神という超自然的な存在によってもたらされた他者と共有可能な出来事と言うよりも、オデュッセウスの心的世界の描写のように見えること。つまり、トロイア戦争という出来事は、オデュッセウスにとってトラウマティックな体験であり、それゆえに神々の所業はフラッシュバックや解離といったPTSD(心的外傷後ストレス障害)様の状態を思わせます。これは個人の心のなかに不可解なものが収められていると考えるという意味で極めて現代的な『オデュッセイア』解釈ですし、だからこそ“語り”によって他者に心を開いていくことが大事なのだと思わされます。そして、そこに、各地で戦争が起きている現代にこれを作る意義があるのだろうと思います。
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こういった文脈で重要だと思うのはこちらも現在公開されている塚本晋也監督の『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』。塚本晋也は俳優でもありますが、近年は『野火』『ほかげ』などを監督し、戦争がいかに回復不能な傷を人々にもたらすか、というテーマを直接的に投げかけようとしている人です。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は、ベトナム戦争でアメリカ兵として従軍したアレン・ネルソンという実在の人物の手記を映像化したものです。アレン・ネルソンはニューヨークの貧困家庭に生まれ、父の暴力を目の当たりにして育ちます。この、十分に養育的ではない家庭環境が怒りを生み、その怒りが海兵隊入隊とベトナム出兵、そこでの殺戮行為につながります。
殺したのはなぜか?殺したのは誰か?入隊を決めたのは自分だが、その原動力となった“怒り”は自分だけのものと言えるのか?
カウンセリングによって少しずつ明らかになっていくこの“からくり”が生々しい映像によって描かれます。そしてその“からくり”をカウンセラーだけではなく、講演会という開かれた場で“語る”ことによってなんとか個人と世界の救済を求めようとするのです。
個人の欲望が人道に反する瞬間や、そこから引き返すとはどのようなことか、そしてそれが自分も周囲もいかに深く傷つけるか、ということを『オデュッセイア』よりも直接的に、ありありと示す作品です。人によっては、見ているとちょっとぼーっとしてくるかもしれません。心を守ろうとして映像描写から自然と距離を取るような動きが生じる可能性がある、そのぐらい普遍的な“人として生きることの苦しみ”を描いているものだと思いました。





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