人の営みとささやかな祈り――Bunraku Summer Festival『チャップリンと文楽 まちの灯』
- 心理臨床オフィス ポーポ

- 7月24日
- 読了時間: 4分

大阪・日本橋にある国立文楽劇場で文楽を見てきました。演目は、「寿柱立万歳」と、チャップリンの同名映画を文楽に仕立てた「まちの灯」です。文楽はおよそ10年ぶり?以下、見慣れていない者の感想です。
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チャップリンを文楽に。なんとなくイロモノ、キワモノっぽく聞こえますが、さにあらず。文楽の面白さも、チャップリンの人間描写力も、義太夫節の振動も、すべて味わえるいい作品でした。
チャップリンの作品を文楽作品へと書き直したのは、日本チャップリン協会会長の大野裕之(私と同世代の京大生には「劇団とっても便利」の人という方が通りがいいかも)。
「街の灯」はよく知られた映画ですのであらすじをご存じの方も多いかと思いますが、本上演ではあらすじはほぼ変えられておらず、舞台が明治維新前後の大坂になっているのと、それにふさわしい登場人物と意匠に変えられているところに妙味があるように思いました。(Wikipediaより映画「街の灯」のあらすじ)
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私が本作を見て思い出したのは、最近読んだ五木寛之・横山剣『口笛を吹きながら夜を行け』(幻冬舎)のこと。作家・五木寛之と、クレイジーケンバンドのボーカル・横山剣の対談本です。
この本の中で二人は、横山剣の声——ダミ声ですね——について話し、ダミ声とコブシを愛する文化の起源をあれこれ探るのですが、声明やイスラム音楽、ギリシャ歌謡やエチオピアの歌など様々なところに点在するダミ声コブシが挙げられ、それらがいかに普遍的なものであるかが語られています。ここに、文楽における義太夫節を付け加えることも可能だと、ナマの義太夫節を聞いて思ったのでした。
また、五木・横山対談では、声明やイスラム音楽という、あちらに向かって捧げる・あちらからの声をキャッチするいわゆる宗教音楽にもダミ声コブシ文化があり、その一方で、ギリシャ歌謡のように俗世の人間世界の音楽にもそれが見られることの面白さが語られていました。
今回は最前列の席での文楽観劇となったのですが、舞台配置からすると、これは義太夫節と三味線の音が後頭部の方へ降ってくることになります。 そうなると、生身の人間の具体性よりは、姿のない抽象的な声の方が強調されます。しかしそういった抽象的な声が人形の動きに当てられることによって、人形という装置が、人間の存在を具現化することになるという、その変換の面白さも体験することとなりました。
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変換の面白さと言うと、本作で描かれる土地々々の持つ意味です。道修町の薬屋が出てくれば、天神橋から街の灯を眺める——というように大坂の街の特色をストーリーに織り込むわけですが、これはおそらく文楽や歌舞伎の文法に合わせているのだと思います。今回は特に、アメリカで作られた映画を大坂を舞台にした文楽に変換する。これによって、遠い国の物語が、大坂を歩いたことのある人には我が事となって体で味わうことになるのです。
こちらにいる人間とあちらにいる人間を結ぶのが愛、この世とあの世を結ぶのが祈りだとすると、戦前のアメリカ映画「街の灯」が描いた愛の世界が、祈りのような力を込めてこちら(現代日本の大阪日本橋)に結びつけられたのが本作なのかなあと思いました。
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難しいことを書き連ねましたが、元がチャップリンだからコミカルな場面も多いです。特に法善寺での相撲の場面はみな大笑いでした。
パンフレットが無料で配布されており、これを読むのも楽しいところです。「街の灯」が戦前の日本で歌舞伎として上演されていた(さらにそれが2019年に再演されてた)なんて知らなかった。
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Bunraku Summer Festival「寿柱立万歳」「まちの灯」は大阪・日本橋、国立文楽劇場にて2026年8月9日(日)まで上演されています。ご興味ある方は是非。
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最後の写真は、『マンダロリアン&グローグー』公開記念で制作されたグローグーの文楽人形。本作とは関係ないですが、かわいかったので載せました。
こちらは、国立文楽劇場の資料室で見られます。この資料室は無料で観覧できます。




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